のだめはどうしてリトミックの先生にならなかったんだろうなと…。
もちろん物語ですので、のだめがピアノ弾きであり続けることに、
ドラマ性があるので当然なことではありますが…。
もしリアルな状況であったら、ありなのかも…ということを書いていきます。
その分岐点、分かれ道となる状況が物語中にあります。
パリで自分のピアノと音楽性に向き合い激しく悩んでいる渦中、
のだめはこう反発します。
「なんで楽しくピアノを弾いちゃいけないの?」
…ん?
よく考えたら、そうじゃありません?
しかし「のだめカンタービレ」では、この疑問に対し、見事のだめが乗り越えていきます。
もちろん楽しく弾くんです!それが音楽の神髄です。
しかしオクエール先生も千秋もみんな、音楽を楽しみつくしている彼らは、
「楽しく弾くだけじゃだめだ!」とのだめに助言します。
…んん…なんで?
前回の記事でも書きました(復習で読んでくださいよ笑)が、
音楽の意志、声を聴く事が音楽の醍醐味であり、真の楽しみ喜びなのだと、
皆、必死にのだめに理解させようとしていきます。
しかしのだめは音楽を楽しむとはこうだとイメージを膨らませます。
プリゴロタと言うゆるキャラと一緒にピクニックへいったり、楽しく飛び跳ねたりと…。
まるでのだめは、幼児リトミックを夢描く先生そのもにイメージの中でなっているのです。
本当に楽しそう…。
しかし結果のだめは、音楽と向き合い、音楽の意志を感じ取るという境地に手が届き、
千秋と同じステージに向かいます。
いつしか、プリゴロタと楽しむ、リトミックのネタ帳のようなのノートを開かなくなります。
これが実際のストーリー。
この物語がすばらしいと思うのは、音楽を楽しむという意味を、
のだめの想像の世界の、誰もが想像する楽しさを上回る、醍醐味と呼べる楽しさへ、
のだめが目覚めていく様を描ききっているからだと思います。
もしかしたら、物語中、のだめは音楽性の追求を辞めてしまい、
自分らしくあるという姿が、
プリゴロタというゆるキャラと楽しむことだと答えを出したとしたら、
リトミックの先生になっていたかもしれませんね!
それこそ、即興ピアノを弾いて、
子供の動きにジャンジャカ音楽を付けて最高のレッスンをしていことと思います。
待てよ!
果たしてそれが正解なの?
私が想像するアナザーストーリーはこうです。
音楽性の追求を留めることなく、一流のピアニストになれる確信を持ったその上で、
リトミックの先生になるというストーリーです。
以降は勝手な私の妄想お許しください。
千秋とめでたく結婚。
一流の指揮者とピアニストとして名声を上げる。
そして子供が授かる。
子供はとっても良い子なんだけれども、親譲りの超変わり者。
周りになじめず、浮きまくってしまう。
しかし子供は音楽には心を開く。
のだめは、母性としてのピアノを我が子に届ける。
そして深い意味での自分のピアノの生かし方を見いだす。
音楽家の才能とは、人に名演奏を届け、心から喜んでもらうことも才能。
そして、子供に喜んでもらい、心に届け、将来へのあらゆる可能性を開いていかせてあげることも才能。
そして後者こそ自分のやりがい、生き甲斐だと理解する…。
そしてプリゴロタと一緒にリトミック教室を開きました…めでたしめでたし。
というものです。
再度、私の妄想なのでどうかご容赦お願い致します。